月刊専門誌『建設とエネルギー』(第十号 昭和五十六年九月一日発行)
出版社:建設経済社
1981年9月
三年後に日銀券が衣替えをして聖徳太子と伊藤博文がお役ご免となり、かわって三人の文化人が新登場するという。大蔵大臣の突然の記者会見で発表されたせいなのか、当日(七月七日)の夕刊も翌日の朝刊もかなり大きな扱いをしたわりには中味は判で押したような大臣談話の要約と新紙幣の写真の紹介にとどまった。せいぜい福沢がいるのに早稲田の大隈がいないのはどうしてか、新渡戸程度の知名度では問題だ、今の時期を選んで改札するのは人気とり政策だ―など、言ってみてもはじまらない町の有識者なるものの声が載っているだけである。結局のところ各政党紙もふくめて中央各紙には、今回の大蔵当局の措置になんらかの重要な政治的配慮をみてとろうとするような、それなりの洞察力をうかがわせるに足る報道にはお目にかかれなかった。
各紙の記事をまとめると、今回の改札計画は昨年六月の省議でほぼ決まり、渡辺大蔵大臣は以下の改札理由を挙げている。第一は五百円をのぞく現行三紙幣の発行歴が十八年以上も経ったことで印刷技術的にも古くなり、偽造の潜在的危険性が高くなったこと。第二は金融機関の機械化・自動化の急展開で、今後は改刷に対応する自動支払い機・預金機等の改造費用が膨大となるので、まだ機械化が全面化していない今の時機に一挙に三紙幣の改札に踏みきった方が得策であること。第三には紙幣の小型化で省資源的効果をねらい、そのほか改札を機に目の不自由な人のための点字識別マークも採用するという。以上の改札理由のほかに、新しいお札の人物選考についても担当の理財局国庫課の説明でこれまた『一切の政治的配慮なしに』『あくまでも純技術的な基準』に照らして作業が進められ、その結果として福沢、新渡戸、漱石の三文化人に落ち着いたのだという。
たしかに右のような技術的なないしは純行政的な諸理由はそれ自体としてもっともらしく思われないではないが、筆者のように社会科学で食に預かる立場からすると、今回の改札計画にかんして、聖徳太子や伊藤博文をもはやそう長くは円紙幣の象像にとどめておくわけにはいかないような、もっと本質的で、なまぐさい背景が生じつつあることを指摘しないわけにはいかない。結論から先に言ってしまえば、より本質的な背景とは、セリカやソニーやナショナルあるいはキャノン等を尖兵とした円の国際化・すなわち多少オーバー気味にいえば円の国際通貨としての発展のことである。しかるに、聖徳太子や伊藤博文といった顔付きのままでの円では関東軍や三光作戦など『大東亜共栄圏』時代の円ブロック支配を想起させかねないというところに問題のなまぐささかつきまとっているのである。
ところで、円の急テンポの国際化をもたらしたメカニズムはこうである。まず、二度にわたる石油危機に触発されて世界的にスタグフレーション的な停滞から脱しえないなかで、相対的にみて堅調さをもって企業合理化と設備投資が展開されたことが日本経済の対外競争力の一層の強化をもたらした。この国際的な不均等発展が変動相場制移行後の為替相場の乱高下と、その乱高下のなかを総じて貫いてきた円高傾向とに対する積極的要素をなしたが、為替変動にともなうリスクを回避するために、対外競争力の強い企業は輸出建て値のドルから円への転換を推進してきた。ここにわが国の円建て輸出比率は八〇年にはほぼ三割にも達したが、このことは他国においてわが国との貿易入超の決済のための追加的な円資金の必要を増大させる意味をもつ。
他方、ドルの減価傾向からドル離れをきたしたオイルマネーや欧米の年金基金の一部は大挙して対日証券投資に向かって円資産の保有を増やし、あるいは最近の米欧の高金利が、非居住者による円建て債券発行需要を増大させている。このようにして円の国際的地位が次第に高められ、七九年末にはIMF加盟国全体の外貨準備総額の各国通貨別内訳に占める円の割合は英ポンドやスイスフラン等を上回る三・六%となり(七五年には〇・六%)これにより米ドルはいまなお別格として円は西ドイッマルクにつぐ第三の『国際通貨』の地位についたことになる。なるほど円と米ドルの地位には雲泥の差がある。しかし大洋州や中南米を含む環太平洋地域、なかでも中国・韓国・ASEANを中心とずる東南アジア地域についていえば、日本資本の浸透力と各国の対日依存の深さには著しいものがあり、これら地域に関する限り円は米ドルにつぐ国際通貨として機能しはじめつつあるといって過言ではない。実はこうした円の国際化という事態の進行が伊藤博文や聖徳太子にかわるイメージを必要としたのであった。
伊藤が千円札像となるについては、彼が明治政府の新貨条例の建議者として知られているという事情もあったのであろうが対外的には毎日新聞の投書の主が指摘するように彼は日韓併合の立役者であり、初代の朝鮮総督であった。朝鮮半島からの渡来人の子孫という聖徳太子にしても具合はよくない。大日本帝国の植民地銀行として台湾銀行、朝鮮銀行、満州中央銀行のいずれもが円表示の銀行券を発行する『特権』を付与されてそれぞれ大東亜共栄圏の重要な一翼を担ったが、かかる植民地銀行を統轄したのはいうまでもなく日銀であり、こうした円ブロック的な統轄を象徴するかのように一九三〇年に最高額紙幣として登場したのが聖徳太子の百円札にはかならない。
以上のようにみてくれば、今回の改札計画には、環太平洋経済圏構想にとって中心的圏域となる東南アジア諸国の政情不安と潜在的な反日運動の台頭に対する『文化的』な布石としての意味がよみとれる。したがって政治性を抜きにした純技術的な対処そのものに重要な政治的配慮があるのであって、大蔵省当局の頭脳にはあるいは光州事件における民衆の群像が焼きついているのかもしれない。 (札幌商科大学商学部助教授)
「隣国から次々と担ぎ屋」、垣間見たバルト・東欧、北海道新聞夕刊、1993(平成5年)5月13日(木曜日)
「性急な移行で危機的状況」、垣間見たバルト・東欧、北海道新聞夕刊、1993(平成5年)5月13日(金曜日)
(札幌学院大学教授)
『福本和夫著作集』、第4巻月報
出版社:こぶし書房
2009年3月
『発達』と「二つの道」が導きの糸
本書に収録された四著はどれも 『ロシアにおける資本主義の発達』と「二つの道」を分析の枠組みとしている。福本は『発達』を『資本論』以後で最良のマルクス経済学文献と見ていた。だが、両極に分解するという『発達』の想定は裏切られ、一九〇五年に始まる第一次革命で、中央黒土地帯をはじめ農民層は分解するどころか共同体の絆により全地主領地の没収を求め、蜂起した。レーニンがその反省から導いたのが「二つの道」である。農業の資本主義化は一直線に進まない。地主と農民との階級闘争で、前者が勝でば上からの漸次的な資本主義化(「プロシャ型の道」)に、後者が勝てば下からの急速な農民的資本主義化(「アメリカ型の道」)になる。労働者階級は第二の農民的な道のために闘う。なぜなら、その勝利は労働者と農民との革命的同盟のもとで初めて可能となるからだ、というもの。
『略図』と『階級区分』のエッセンス
『日本農業における資本家的発展の略図』は一九四八年の大農経営の調査報告から、たとえ日本にはドイツ北東部のユンカーや米国プレーリーなみの大農場がなくても地主型の資本家経営と農民型の資本家経営の二つの形態――「二つの道」が析出できるし、実際に農地改革後の日本農業も資本主義化に向かいつつあると主張した。『日本農村の階級区分』 は「資本を出発点」におき、中心課題を、土地所有規模を指標とする地主小作関係から「資本対労働の関係」へと転換するよう求め、闘争組織についても小作農中心から「農業労働者と貧農」に重きをおくよう切り替えを説いた。しかも、富農には帝国主義と国内独占から収奪される面があると指摘するなど、農村で篤農家層を敵にまわすようなセクト主義を諌める視角もあり、そこには新封建派の迷妄を覚ます積極的な主張が見て取れる反面、実証的な裏づけをもとにした栗原百寿らの小農標準化論に対して、両極分解論の立場から、終始、論難を繰り返した。
日本林業・山林大経営の調査と分析
『日本の山林大地主』『新・旧山林大地主の実態』の二著には二面の特徴がある。一つは、御料林・国有林、中央地方の財閥を含む新・旧山林大経営の研究の囁失をなし、農林業の全体を視野に収める研究の意義を提起したこと。第二は、日本林業でも、資本家型と地主型の新旧二つの型のジグザグした対立抗争のうちに、新しい型のほうが勝ち抜きつつあるという、「二つの道」の正当性を裏づける豊富な証拠を提供しえたとする福本の自負であろう。
「二つの道」の陥穽
しかし、福本の農林業研究は、山林大経営の実証研究を除くと、歴史の検証に堪えられなかった。当時はまだ、日本資本主義と農業の再建・展開の道筋が未確定だった制約もあるが、それとは別に、依拠したレーニンの、『帝国主義論』と「ネップ」以前の農業・農民観には致命的な欠陥があった。ジョレス・メドヴェージェフや渓内謙の労作により、今でこそ、ポリシェヴィキの農業問題の無理解はある程度知られるに至ったが、福本にレーニンの農民観を再吟味する機会は晩年までなかったようだ。確かに、日本の実情により近いと想定した、中国農村の毛沢東による階級分析から学ぼうとするなど、福本にはレーニンのロシア農業分析を日本に機械的に適用する意図はなかったろう。だが、しかし、後発国としての日本農業の歴史性と現実に照らせば、福本が槍玉に挙げた栗原の小農標準化論のほうが、福本の分解不可避論よりも強い生命力を保持し続け、しかも、栗原の小農像には、ジョレスや渓内が示す共同体成員としての家族労働を基本とするロシア農民像にも繋がるものがあった。
ジョレスのレーニン批判
一九一七年のロシア農民革命は自生的なもので、どの政治党派も重要な役割を演じていない。社会主義革命の条件は希薄で、ポリシェヴィキは民衆革命でなく宮廷クーデタで権力を握った。レーニンが 「土地布告」を出す前にすでに地主領地は農民蜂起により消えていた。戦時共産主義は農民問題に疎い新政府の暗中模索の所産であり、彼らは都市と農村とで別個の革命が、まさか、異なる目標を掲げ別々に進んでいるとは気づかなかった。したがって、二月のブルジョア革命と十月の社会主義革命として、両者を二段階革命か二段階の連続革命と見なすのは適切でない。ロシアに社会主義革命があったとすれば、渓内が立証したように、一九二八年に始まる「上からの革命」をおいて他にない。
自然とのきずな
カウツキーはかつて、最も多く農村から逃れるものは、ただ身体強壮であるのみか、最も精力に溢れ、最も知識ある分子だと言った。各国近代史にかかる側面があったことは事実である。だが、家族経営の小農民が広範に生き残ったのは後発の日本だけでない。英国も米国もそうだった。ジョレスは、米欧に勤勉で適応力ある農民が残ったのと対照に、ソ連の集団農場に、貧乏くじを引かされた受動的で高齢化した人々が多く残ったのは、大地との有機的で個人的かつ感覚的なきずなが、私的所有と個人責任性によってしか鍛えられないからだと結論した。皮肉な傍証もある。集団化の母国が辛くも飢えを凌いだとすれば、正規の勤務時間外に、住宅地付属の小菜園で精を出す生業的な小商品生産のおかげだった。
小農の強靭性
レーニン没年に留学中のパリで彼の遺書を知り、スターリンを醒めた目で見つづけた福本は、最期まで忠誠を尽くし、二〇回大会を知らずに殉じた栗原を揶揄することができた。だが、「二つの道」というレーニン主義の呪縛を解かれ、家族労働に基づく小農経営が強靭性を発揮する現実を問うことでは、福本は逆に全くの後塵を拝した。彼が実証的研究の対象とした山林大経営での林業労働は、林内に植民した小農民の兼業のほか、冬場の出稼ぎを含む近隣・周辺農山村の小農民の兼業に多くを依存していた。資本制山林大経営の林業賃労働を担ったのもかの強靭性を発揮する現場の一つであったのだ。
ただし、ブレトンウッズ体制の崩壊後に進行した円高と超円高に伴う国際競争圧力により、日本農業は危機的な再編・縮小を迫られ、かの強靭性ももってしても耐え得ない面があったことは否めない。
【参照】 ジョレス・メドヴュージェフ(拙訳)『ソヴィエト農業』。渓内謙『上からの革命』。玉真之介『日本小農論の系譜』。暉峻衆三編『日本の農業150年』。渡辺寛『レーニンの農業理論』。和田春樹『農民革命の世界』。
(ささき・よう 札幌学院大学教授)
「HeeRo REPORT」
2011年1月号、No.113
1942年静岡県生れ。
北大農学部修士卒。専攻は「日本経済論」と「景気循環論」。
札幌学院大学教員。中国・北京農学院大学客員教員。
科学者ジョレス著の翻訳『ソヴィエト農業』(北大図書刊行会; 1995年)や歴史家ロイ・メドヴェージェフとの共著『スターリン と日本』(現代思潮新社;2007年刊)がある。
世界最大の小売業者ウォルマートは近年大半の米国企業が減収減益にある中で例外的に好業績を続ける。むしろ消費者の財布の紐が堅い逆境こそチャンスだと創業者の遺訓を引いて豪語する。サム・ウォルトンは貧しい南部白人地帯・アーカンソー州での低所得層への安売り商法から伸し上がってきた。世界トップ企業としての同社の強さは、ナイキのような強いブランドがない限り、いかなる消費財メーカーも大手量販店の売場に商品を並べてもらえるかどうかに社運を賭ける、圧倒的な市場支配力である。こうして寡占的な小売大資本が名だたるメーカーをも従えるグローバルなサプライチェーンが展開してきた。ウォルマートの客層は1990年以降、景気が上むく局面でも可処分所得が低迷する広汎な所得層にさらに広がった。こうした消費者のショッピングがウォルマートを押し上げてきたのだ。
ウォルマートはなぜ安いか
理由は三つある。第一は退社後に稼ぐ副収入がないと家族を養えないほど賃金が安い。これは企業内に組合を作らせない労組敵視と結びつく。第二は、店で売る品の6割を製造・組立てする中国の、特に広東省の珠江デルタで働く内陸出身の出稼ぎ農民=農民工の低賃金(日本の最低賃金の十分の一)にある。農民工の組織化はウォルマート納入企業に限らず、労働契約法の2008年施行までは総じて真面目に取り上げられなかった。第三はジャストインタイムの物流方式だ。世界最大級の香港とシンセンの港を出たコンテナ巨船がロサンゼルス/ロングビーチ港に着き、必要時に必要な品を必要量だけジャストインタイムで全米各店に配送する、衛星通信を駆使したロジスティックである。レジでピッと音がするバーコードはウォルマートが広めた。消費者の売れ筋データがベントンヴィル本社に集約されると太平洋対岸の農民工に増産を促す。米国は中国の輸出主導型経済を批判するが、輸出の急先鋒は、シンセンにあるウォルマートの現地仕入れ本部であり、仕入れ人たちが米国消費者の意向に忠実に輸出してきた側面を忘れてはならない。
中米蜜月Chimerica
だから、米中開係は米国と中国の働く者同士の持ちつ持たれつの関係である。これをチャイメリカChimerica=中米蜜月の関係だというのがN・リクテンスタイン(2009)とN・ファーガソン(2009)だ。チャイメリカChimericaはキメラchimeraのパロディでもあるとファーガソンはいう。米中の双方で相手に由来する遺伝子が猛烈に増殖を始め、自国を左右する有機的な部位になって捻じれ現象を引き起こす。具体的には、対米輸出の拡大に伴う中国当局による人民元切上げ阻止のための巨額なドル買い介入が、米国の金融市場を緩和せしめて長期金利の異様な持続的低落をもたらし、これが20世紀末から先頃までの米国住宅ブームを通じ、米国の過剰消費と中国の過剰貯蓄との蜜月関係をもたらしたという。サブプライム・ブームの背景をチャイメリカの視点で見るとこうなる。
中国出店と西友買収
こうして米国消費者は、中国人民の貯蓄(ドル建て証券として運用される中国の外貨準備)に支えられ信用力の劣る階層も含めて借金漬けの住宅ブームを謳歌したのであった(サブプライム住宅ブーム)。ウォルマートもこのブームに乗って業績を拡大してきた。だが、同社の傑出した競争力をもってしても、米国内での大手量販店市場は成熟化に伴う制約を免れず、さすがのウォルマートも新規出店と売上げの頭打ちの状況にある(表1・表2)。
同社はその分海外の出店や買収に力を入れ、既に中南米等で実績をあげてきた。同社の最近の好業績は海外部門の拡張に負う面が大きい。めざすは世界最大の潜在市場である中国での店舗網の拡充であるが、これには同社の労働組合に対する敵視主義や物流システムのインフラ整備の懸案がたちはだかっている。日本ではウオルマートの単独進出でなく、西友への資本参加から買収による100%子会社の道へと進んだ。
組合敵視のウォルマート
だが、ウォルマート中国法人の出店は子会社も含め2010年現在291店舗、従業員8万4千人を抱えるものの、GMS(総合スーパー)部門の売上は直近年でもライバルのカルフールの後塵を拝する。これには運輸等のインフラ事情から米国流の物流を採用できない分、安売り攻勢で優位に立てない面がある。他方、カルフールが地方政府や中国全国総工会との取り引に応じた結果、殊に繁栄する上海に店舗を集中できたのに対し、組合容認に執拗に抵抗したウォルマートは立地上の制約を免れなかった。2004年10月に、ウォルマートやコダックやサムソンが組合結成を拒んでいるとの全人代と総工会のチームによる調査結果を、メディアが企業の実名入りで報道したことから外資に衝撃が走った。その週の内にウォルマート最高幹部が北京に詣でて精華大学の小売業研究所に基金を出し、また中国高官に法の全てを「守る」意向を告げた。だが、組合無視の実態は変わらず、例えば南京では総工会代表が店長に会えない日々が2年はど続いたという。
労働契約法の制定
総工会民主管理部の郭軍(グオ・ジュン)部長は昨年、連合主宰の講演会とシンポジウ
ムで、母国で組合を許さないウォルマートの中国法人で組合を組織したことの画期的意義を指摘した。郭軍部長は上記工会チームの当事者である。2008年に中国で「新労働3法(労働契約法・就業促進法・調停仲裁法)」が施行された。中国では公式統計に載るだけでも労使紛争の発生が激化している(表3)。中国人民大学の彭光華氏が認めるように、総工会は組織全体が共産党の指導下にあり、工会活動も党と政府と企業行政に統括されているため対外関係での大衆団体としての独立性や内部運営での民主性がなく、現段階では自主性、民主性を有する労働組合とはいえない(彭2010)。にもかかわらず、中国がグローバル資本主義の不可欠の要素となり、米中蜜月のチャイメリ力関係が深まるにつれ、中国内部に拡大する地域間格差、所得格差、農民工の無権利状態をこれ以上放置することは中国の体制安定そのものに関わる焦眉の難問になってきた。「和諧社会」提起の背景と重なるが、こうして2005年12月に労働社会保障部が、労働者の権利保護の強化を図る目的で「労働契約法案」を取りまとめると、1ケ月で19万件の意見が寄せられた。
工会ウォルマート支部の結成
ここにウォルマートも中国指導部を本気にさせる胎動を感じた。2006年7月以降、各地の店舗で工会設立が始まり、共産党の支部が設立された店舗もある。2008年には主要都市で工会と同社とで集体協商(団体交渉)制度の立ち上げも合意されたという(田浦2009)。また、夜勤シフトの労働者を配慮して夜半過ぎに開催された福建省の工会創設式典で、彼らは「中国独自の労働組合の発展の道を断固進もう!」の横断幕を掲げ「インタナシヨナル」の斉唱で門出を祝った。ウォルマートも負けていない。どの中国店の休憩室にも、創業者サムの「ビジネス十カ条」を中国語訳した「大義成就の十大法則」が飾られ、若い中国人にもお馴染みの毛沢東主義の格言を喚起させるという。例えばサムの第一法則「commit to your business事業に夢中になれ」は中国語の「大義に忠実であれ」のように。それでは総工会が実際に労働契約法の想定する労働組合として成長していくなら、かのキメラ関係は次代のグローバル資本主義をどう規定するのだろうか。
参考文献
佐々木洋「ネルソン・リクテンスタイン著『小売革命』と世界資本主義の創造者としてのウォルマート」『札幌学院経済論集』2号(2010年12月)
彭光華「中国における労働紛争処理システムの現状と課題」、日本労働法学会編『東アジアにおける労働紛争処理システムの現状と課題』(法律文化社;2010)
田浦里香「企業統治の文脈で重要性を増す中国の労使関係」『知的資産創造』(2009年6月)
「週刊金曜日」
2011年12月16・23日合併号、877号
佐々木洋、(川村秀編、名越陽子訳、現代思潮新社、東京新聞、2013年4月14日)
藤岡惇退職記念文庫編集委員会編
出版社:文理閣
2013年4月20日
「藤岡惇 退職記念文集」のサイトご案内
◇この本の全文(PDF版)
藤岡惇先生ご退職記念『文集』へのお誘いを受け光栄です。
私の在職中、経済教育学会の研修会で先生とご一緒したことがあります。先生は、どんな演者のどんなテーマでも、「ねーえ」という節まわしの、絶妙な間をはさみながら、議論の脈絡が「クリア」となり、あるいは、埋もれた論点が浮かび上がる発言をなさいます。
出たとこ勝負の論議でも要点を外さない、臨機応変な芸当ができるのは、藤岡先生が、ことの多様さと奥深さに通じた全天候型のプレイヤーであられる所以です。ご自身は、「問題の本質をクリアにとらえる上で大切なこと―それは、トータルに総合的にとらえること」、「森を見つつ木も見る」こと。米国資本主義を現実に分析する際、「経済と軍事を切り離し、軍事や政治の動きを軽視」すれば、「真実の姿が浮かびあがってこない」と仰います。
私の現職最後の年度の担当科目に外国書講読がありました。教科の担当は前から決まっていましたので、そのテキストには、「グローバル化」の世界史をクリアに描き、政治・経済・社会・文化の総合的な把握の大切さを説き、古典としても長く読み継がれそうな英文原著を使いたいと思い、アマゾンの新刊予約に目を凝らしました。出会ったのがNelson LichtensteinのRetail
Revolutionです。宣伝を兼ねて言いますと、本書は、米国南部アーカンソー州の片田舎の町ベントンヴィルに本拠を置くスーパーマーケットのウォルマート社が、米国内の「発展途上国」である南部の劣悪な労働条件をバネに、米国最大の、さらには世界長大の小売サプライチェーンへとのしあがるプロセスを、グローバル資本主義の創造過程として描いた、破格に面白いビジネス書・歴史書・啓蒙書・教科書です。
著者リクテンスタインは、米国でなにか労働問題が持ち上がると、メディアが必ず論評を欲しがる労働史担当の有名教授です。近く同書日本語版を『週刊金曜日』社から出す準備をしていますが、私の非力もあって、翻訳作業が随所で難儀に難儀を重ねました。
それは、元学生運動闘士の著者が、まさに米国の自然・社会・政治・経済全体の関わりで、ウォルマート社による、藤岡先生が仰る際限のない下向き競争としてのグローバル化を説いているからです。例えばプアーホワイトや公民権運動が分らないと先に進めません。
そこで大変勉強になったのが藤岡惇著の『サンベルト米国南部』と『アメリカ南部の変貌』です。『小売革命』と先生のご労作を読むと、レーガンとクリントンとブッシュ父子を胎動させた南部社会を視野に入れない、「グローバル化」研究は皮相なものに写ります。
藤岡先生の南部研究は、南北戦争と奴隷解放令を発端とし、第二次大戦を転機とする、北部や西部とは異なる資本主義的な開発史の研究でした。即ち米国国内の「発展途上」地域あるいは「内国植民」地域ともいえる、南部における周回遅れの農業革命と工業化、そして核=産軍複合体の南下の歴史・構造分析です。米国資本主義は、こうして核=軍産複合体の地域基盤を伝統的な五大湖辺から南部に移し(西部にも)、さらには、米国内部の「第三世界」的な農業・工業革命の成功モデルを、非欧米世界に輸出していきました。
藤岡先生の米国南部研究には、二つの新展開がありました。一つは、新自由主義革命に伴う全球的下向き競争と、軍産複合体の生き残りを賭けた宇宙覇権戦略を考察する労作『グローバリゼーションと戦争』の刊行とその続編『平和の経済学』の予告です。そこには原子力産業分析を含む軍産複合体に関する一連の緻密なご研究の蓄積が生かされています。
もう一つは、これも藤岡先生ならではの、旧ソ連とはいったい何であったのか、あるいは社会主義とは何であるのかという研究です。藤岡先生にとって、黒人間題を抱える米国南部の内国植民地的な資本主義展開と、農業問題をアキレス腱とした旧ソ連のスターリンによる「上からの革命」と「兵営社会主義」の実験過程とは、核軍拡で凌ぎを削る両超大国の、社会と政治の病巣を解剖するのに不可欠な一対の、歴史・現状分析の対象でした。
藤岡先生の最新論文の一つが、『歴史の教訓と社会主義』(ロゴス社)に収められた「大地・生産手段への高次回帰と自由時間の拡大」です。この論考は、人類社会のトータルな歴史・現状分析の諸結果を踏まえた、人間生活と大地(自然)との再結合、および農村と都市との再結合とを核心とする、未来社会観の今日的あり方に関する試論ですが、それに資すべく、私たちが共有すべき最も惨めで深刻な反面教師の歴史・現状認識として示されたのが、「大都市の形成・農業の工業化」の結果、米ソ両国で「表土流出と風食、大地の荒廃に見舞われ、地域社会を支えるエコロジーと文化」が危機に瀕したことです(論文二六四−二六五頁)。藤岡先生は旧ソ連の病巣の根本は、シューマッハーと共に、「生き物を扱う農業」と「死に物を扱う工業」の区別をあいまいにし、人間主体による自然の改造能力を過大に評価し、「原発先進国」となる方向に突き進んだことだと指摘なさいます。実際、ソ連は一九五七年にウラル核惨事を、一九八六年にチェルノブリ原発事故を起こし崩壊しました。
藤岡先生のご指摘は極めて重要です。私はジョレス・メドヴェージェフ著『ソヴィエト農業』の邦訳者ですが、ジョレスはこのご指摘に関連しますと、旧ソ連史最大の悲劇は、クラーク=富農(実は篤農家)の撲滅を口実に、「大地(自然)との有機的、個人的かつ感覚的な絆を保持した農民」を根絶やしにしたことだと観ています。藤岡先生のご指摘とピッタリ重なります。藤岡惇先生の『平和の経済学』の刊行を心待ちにしております。 (ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ研究者、札幌市在住)
――朝日新聞出版、2013年4月(「札幌学院大学図書館報 書林」、2013年10月16日、第84号、札幌学院大学名誉教授/NPO法人・ロシア極東研理事長)
佐々木洋、アソシエ21「ニューズレター」(2003年11月号)
「週刊金曜日」
2013年12月23日号、972号
◇2013年
◇2014年
◇2015年
◇2016年
ネルソン・リクテンスタイン著
佐々木洋訳
金曜日
2014年
「書林」(札幌学院大学図書館報、2015年10月5日、第88号)
ロシア放射線防護の権威 レオニード・イリイン著『チェルノブイリ:虚偽と真実』 (佐々木 洋(ジョレス&ロイ・メドヴエージェフ研究者)
ポストク25号(NPO法人ロシア極東研機関誌) NPO法人ロシア極東研(創設1986年 会報創刊=89.5.15)季刊
VOL.25
2016年4月10日発行
佐々木 洋(ささき・よう)
◇札幌学院大学名誉教授
◎1969年、北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。研究業績は『札幌学院大学経済論集』四号(筆者退職記念号)、2012年、所収の業績一覧を参照。
◎定年退職後は、@ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ兄弟の研究、A原子力安全神話の謎の歴史の研究、B世界最大級ウォルマートを前衛とする「小売革命」の研究、に従事。
@の最近の仕事はロシア革命一世紀を生きぬく視角―『ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ選集』日本語版刊行によせて―付表」付表を参照。
Aは詳細な年表付の拙稿「日本人はなぜ、地震常習列島」の海浜に【原発銀座】を設営したか? ――三・一一原発震災に至る原子力開発の内外略史試作年表」前掲『札幌学院大学経済論集』四号「広島、長埼、ウラル、チェルノブイリ、福島―歴史に刻まれた国際原子力村の相互支援」中部大学『アリーナ』17号、を参照。
Bは、2014年、ネルソン・リクテンスタイン著 The Retail Revolution, 2009の拙訳書『ウォルマートはなぜ、世界最強企業になれたのか」を金曜日社から出版した。